UKロックとファッションの関係にみる自己表現の足跡(’80〜’00s)

UKロックとファッションの関係にみる自己表現の足跡(’80〜’00s)

JOURNAL / Culture #3

UKロックとファッションの関係にみる自己表現の足跡(’80〜’00s)

2018.12.18

UKロックのアーティストたちにとってファッションやヘアスタイル、そしてメイクは単なる表層の記号ではなく、音楽や歌詞に匹敵する自己表現の手段であったということを、本コラムでは書かせてもらっている。前編ではビートルズからデヴィッド・ボウイ、そしてセックス・ピストルズへと至る’60年代〜’70年代を取り上げたが、この後編では’80年代から現在までの「UKロック×ファッション」を辿ってみることにしよう。
 

‘80年代のUKロックは、’70年代後半のパンクによって旧価値観が突き崩されたゼロ地点からスタートした。パンクによってもたらされた自由な空気、常識や先入観にとらわれないクリエイティビティがさらに加速し、ファッションやメイクをよりアートとして自覚したバンドが次々に登場。フリルのブラウスにサッシュベルトを合わせたニュー・ロマンティック一派や、全身黒ずくめのゴス・ロックが生まれたのもこの時代だ。アイライナーで黒々と瞳を縁取るゴスメイクや、ジェンダーを超越したボーイ・ジョージ、真っ赤なリップがトレードマークだったザ・キュアーのロバート・スミスらは、男性のメイクがもはや驚きではなくなったこの時代の象徴だろう。

ただし、長期の不況に喘いでいた’80年代の英国では、地方都市の多くのバンドたちはむしろアンチ・ファッションな存在だった。失業保険で暮らす彼らには、着飾る余裕はなかったのだ。しかし「パンク以来の衝撃」と称された’80年代末のレイヴ・カルチャーやダンス・ロックのムーヴメントを牽引したのは、まさにこの地方都市の労働者階級のアーティストたちで、当時ザ・ストーン・ローゼズやハッピー・マンデーズが穿いていたバギー・パンツは一大ブームとなった。そもそも彼らは安価で入手できる流行遅れのバギーをただ穿いていただけなのだが、それが巡り巡って最新トレンドになってしまったのだから皮肉な話だ。
 

‘90年代半ばには、UKロックはブリットポップの最盛期を迎える。ブリットポップとは「英国らしさ」に回帰しようとするムーヴメントで、その背景には当時のアメリカのグランジ・カルチャーへの反発があったと言われている。古着のネルシャツやダメージ・デニムのルーズな装いが定番だったUSバンドに対抗するように、ブラーを筆頭とするブリットポップ・バンドは細身のスーツやフレッド・ペリーのポロ、モッズ・パーカを着込んだネオ・モッズ・スタイルで英国性を全面に押し出していった。それはUKロック黄金期の’60年代への憧れを下敷きにした、懐古的でナショナリスティックなムーヴメントだったとも言える。
 

そんなブリットポップが終焉を迎えて早20年が経とうとしているが、残念ながらあれ以来、シーンを激変させるような、新たな潮流を生み出すような音楽とファッションのケミストリーはUKロックにおいて一度も起こっていない。それは価値観が多様化していく中で当然の傾向だとも言えるし、ロックというスタイル自体が既にポップ・カルチャー、ユース・カルチャーの中心にはなり得ないというシビアな現実もある。それでも2000年代には、英国近衛兵の真っ赤なミリタリー・ジャケットを纏って登場、「野球帽を被ったイギリス人ほど惨めなヤツはいない」と歌い、UKキッズのモダン・ブリットたる自尊心を鼓舞したザ・リバティーンズのようなアイコニックなバンドもいた。ちなみにそんなリバティーンズの熱心な信奉者だったのが、かのエディ・スリマン。当時、彼らはチャリティショップでタダ同然で手に入れたボロボロのシャツやパンツに、スリマンから贈られた数千ポンドのディオール・オムのライダースを無造作に羽織っていた。その最高にアンバランスでクールな彼らの佇まいは、今なお鮮明に記憶に残っている。

粉川しの Shino Kokawa

『rockin' on』の5代目編集長として、史上初の女性編集長を5年務める。現在は音楽のほか、映画メディアでの執筆・編集として活動。数々の世界的アーティストとの対談を経験し、特にUKロックに造詣が深い。

『rockin' on』の5代目編集長として、史上初の女性編集長を5年務める。現在は音楽のほか、映画メディアでの執筆・編集として活動。数々の世界的アーティストとの対談を経験し、特にUKロックに造詣が深い。

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