UKロックとファッションの関係にみる自己表現の足跡(’60〜’70s)

UKロックとファッションの関係にみる自己表現の足跡(’60〜’70s)

JOURNAL / Culture #2

UKロックとファッションの関係にみる自己表現の足跡(’60〜’70s)

2018.11.19

UKロックをUKロックたらしめてきたものは、サウンドや歌詞だけではない。アーティストのファッションやメイク、ヘアスタイルとも密接にリンクし、時代やトレンドと共に変遷する複合アート・フォームであること、それがUKロックの大いなる魅力だからだ。

例えば、私たちがザ・ビートルズについて想起する時、数々の名曲のメロディと共に4人のアイコニックなヴィジュアルが即脳裏に浮かんでくるはずだ。襟なしや細いラペルのスーツ、前髪を厚めに取ったマッシュルーム・ヘアで登場した彼らは、’60年代前半の音楽シーンに革命を起こした。ロックが未だに不良の音楽とされていた当時、ロック・バンドが敢えてスーツを着ることは逆説的に衝撃であり、そんなビートルズのスーツ戦略の背景には、当時のロンドン下町の若者たちの間でブームとなっていたモッズ・ムーヴメントの影響もあったとも言われている。ジャズやR&Bを愛し、ウエスト・シェイプされた細身のスーツやハイカット・ブーツを好み、ヴェスパやランブレッタを乗り回す。そんなモッズのイメージは以降何度もリヴァイヴァルし、現在に至るまでUKロックを語る上で欠かせない定番のスタイルであり続けている。
 

ただし、ビートルズがモッズ風スーツを着ていたのはほんの2年程度のことで、’60年代後半、フラワー・ムーヴメントを代表する『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をリリースする頃には、彼らは髪を伸ばし、髭を蓄え、サイケデリックな柄シャツやスカーフで装う大変貌を遂げた。’60年代、’70年代はUKロックの革新の時代だった。時代を塗り替える傑作が次々に生まれたその目まぐるしいサイクルの中で、彼らのファッションも自ずと大胆な変遷を重ねていったのは当然なのかもしれない。
 

UKロックの’70年代は、グラム・ロックのブームによって煌びやかに幕開けた。グラム・ロックが聴く者と観る者を眩惑するアート・フォームになり得たのは、デヴィッド・ボウイという一人の天才が現れたことによる。ちなみに着物や歌舞伎、和彫りの刺青のイメージなどを用いた山本寛斎のステージ衣装を愛用していたグラム時代のボウイは、日本文化から多大な影響を受けていた。日輪や稲妻といった大胆な意匠を描き込んでいった「ジギー・スターダスト」のメイクは、歌舞伎の白塗りや隈取りを意識していたとも言われている。「なぜ女物のドレスを着るのか?」と訊かれ、「違う、あれは“男物”の“ドレス”だよ」とボウイが答えたのは有名な話だが、今でこそ当たり前になったジェンダーレスなスタイルも、また、現代のコスプレにも通じる「自分以外の何か」に変貌する異化装置としてのファッションも、ボウイは45年以上前に先取りしていたということになる。
 

もともとNYで生まれたパンク・ロックがロンドンでファッションと結びつき、一大ムーヴメントとなったのも’70年代だった。安全ピンのついたボロボロのガーゼ・シャツやボンテージ・パンツ、ギザギザの毛先を逆立てたヘアスタイルで衝撃的なデビューを果たしたセックス・ピストルズは、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドによって「仕掛けられた」バンドでもあった。しかし、そのペテン的なやり口も含めて古い価値観を嘲笑い、反逆していく精神がUKパンクの真髄であり、王室を戴き、いまだに厳然たる階級社会が残る英国だからこそ、その反逆は鮮烈だったとも言える。そしてそれは、パンクだけではない。ロック・バンドがスーツを着ることも、ボウイがメイクをしたことも既存のスタイルへの挑戦であったように、UKロックにおけるファッションとは古い価値観への反逆のアティチュードであり続けているものなのだ。

粉川しの Shino Kokawa

『rockin' on』の5代目編集長として、史上初の女性編集長を5年務める。現在は音楽のほか、映画メディアでの執筆・編集として活動。数々の世界的アーティストとの対談を経験し、特にUKロックに造詣が深い。

『rockin' on』の5代目編集長として、史上初の女性編集長を5年務める。現在は音楽のほか、映画メディアでの執筆・編集として活動。数々の世界的アーティストとの対談を経験し、特にUKロックに造詣が深い。

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